このビーカーは、シャンティーイ窯の柿右衛門写しの典型といえる作品である。
池に船が一艘、東洋人が二人乗っている。水の流れを赤の曲線で表現しているが、青で描いている作品もロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(Victoria & Albert Museum)、オックスフォードのアシュモリアン美術館(Ashmolean Museum)などで見られる。
これと同じ配色、モチーフの描き方は、トロントのガーディナー美術館(Gardiner Museum)、ボストンのミュージアム・オブ・ファイン・アート・ボストン(Museum of Fine Arts Boston)などで見られる。
岩場の描き方も、前者と後者では異なっている。
この作品は、柿右衛門磁器の『色絵周茂叔愛蓮文』を写したものだと思われる。蓮を愛する周茂叔(しゅうもしゅく)が、蓮の花の咲く池に船を浮かべてそこで眠って夢を見ようとする中国の故事が元になっている。
この作品では、柿右衛門磁器の乳白手を模倣する為に、鉛を含む酸化錫の釉薬を厚く掛けており、ビーカーの作品では、いずれも厚く掛けられた釉薬の溜まりが、ビーカー上部に認められる。
器型はヨーロッパではバケツ型と表現しているが、日本人なら蕎麦猪口型と言った方が分かり易いだろう。
柿右衛門窯では、乳白手であるが故に染付けは使わず、黒で輪郭線を描いている(鍋島窯では染付けで輪郭線を描いている)が、シャンティーイ窯では1750年代まで黒が無く、濃い茶色で輪郭線を描いている。一方類似したモチーフを描く、サン・クルー窯や、メヌシー窯は黒を使っている事で鑑別出来る。
シャンティーイ窯は、(ムッシュ・ル・デュクMonsieur Le Duc/侯爵閣下として知られる)コンデ侯ブルボン公ルイ・アンリ(ルイ4世)の庇護のもと設立された窯であるが、ルイ4世はフランス国王ルイ15世の摂政オルレアン公フィリップ2世の死後、1723年に宰相に就いたものの、3年後に失脚し、半ば居城で謹慎状態にあった。
ルイ4世は東洋磁器コレクターで、日本の磁器、特に多くの柿右衛門磁器を所有し、城内にこのシャンティーイ窯を作り、東洋磁器のコピーを作らせた。
したがって、柿右衛門写しの作品の多くは元の日本の磁器が存在し、モチーフをコピーしているが、器型は必ずしもそうでは無く、フランスの器型であることも多い。シャンティーイ窯では、化粧用品などの日用品までバラエティーに富む作品を制作したが、この作品のモチーフは、主にティーウェアの作品にのみ見られる。
概して言えば、フランスにおいて磁器がディナーウェアや、デザートウェアーに使われ出すのは1750年代からである。どの宮廷であろうと、上流階級において新参者である磁器が、銀器の領分を侵すには、少し時間が必要であった。