Arita 有田(1610年頃ー現在)
染付楼閣山水文大皿(1690−1700年代/貞享ー元禄年間)
直径:36.0cm、 銘無し 目跡五箇所あり
この作品は、直径36cmの里帰りの染付けの大皿である。
古伊万里様式へと発展する芙蓉手を模した画面構成で描かれ、平面的な山々の描き方や、柳の木が画面からフレイムアウトしており、浮世絵にも見られる当時の日本に特徴的な装飾が施されている。
1690年代よりコンニャク印判や、型紙摺り等の装飾技法が導入されており、この作品にも、コンニャク印判の技法が使われていると思われる。
「柴田コレクション展(Ⅰ)」によると、裏面を折枝文二つで描く装飾方法は、1690年から1700年代初頭の輸出用大皿に多く見られるとある(作品357番、360番、361番、364番、365番)。
またこの本の中で類似した表の装飾が施された作品が掲載されている(作品300番)。
江戸初期から、徳川家康、秀忠が江戸の大名屋敷に御成を行う中で、宴会の為の大皿の国内需要は次第に増加し、初期は景徳鎮などの染付大皿を使用していたが、1630年代(寛永)には山辺田窯でも制作出来る様になり、特に40cmを超える大皿が1660-1670 年代(寛文)まで数多く制作された。
したがってこのような大皿の生産は、初期伊万里以降の伊万里では、比較的初期から 輸出向けにも国内向けにも、 生産されている。
この作品は里帰り品ではあるが、17世紀末よりオランダ東インド会社の磁器の需要が減少する中で、国内向けとしても充分通用する作品である。
この大皿はフランスのディーラーから購入したものである。