ジャックーエティエンヌ・デソー・デュ・ロミリー(Jacques-Etienne Dessaux de Romilly)は 1753年、オルリアンで20年間のファイアンス工場の操業許可を国王より得た。ルイ・フランソワ・ル・ロア(Louis François Le Roy)の監督のもとにファイアンスを生産していたが、この工場では小規模ながら、実験的に磁器の生産があったと考えられる。
1757年、クロード・シャルル・ジェロウ・ダルベル(Claude-Charles Gerault d‘Areaubert)は、この会社を買い取り、‘ Manufacture Royal de porcelaine Orléans ‘ と言う名前で、1767年より磁器の生産を開始した。
素地の原料は、デソーの時代には、1753年から翌年まではフランドルのベラウ(Belau)から遥々運ばれていたが、1756年からはシャトードン (Chateaudun)近郊のサン・マメ(Saint Mamès)から供給されていた。
この窯では軟質磁器が生産されていたが、素地の作業部屋には軟質と硬質磁器の両方の素地、釉薬が遺されている。テーブルウェアからフィギュアまで制作されたが、フィギュアは釉薬の掛かったものも、無釉のビスクイも両方制作された。
1782年、ジェロウが亡くなると、妻が工場を引き継ぎ、設備の一部などを売却し、1788年にブルドン・デュ・スーセイ(Bourdon du Saussey)が買い取り、新しい会社になった。その後4回経営が替わり、結局1812年に閉窯した。