17世紀のオランダは、東洋貿易を独占し、大量の中国磁器を輸入し、重商主義により莫大な富を築いた。これらの東洋磁器の模倣は、早くから試みられていたが、軟質磁器以上の物は出来なかった。そして間もなく、オランダのファイアンス生産が最盛期になると、磁器への需要は縮小し、僅かな需要は手近に安価で手に入る、東洋磁器の輸入によって満たされた。このような状況で、オランダでは18世紀に入っても、ベドガーの発見を利用しようとする者は現れなかった。
結局オランダでは、18世紀の後半になってはじめて磁器生産が始まるが、装飾様式的にも遅れをとっており、マイセンや他の主要メーカーの模倣に終始し、『富裕商人の遊興的な姿を描いたモチーフ』以外には、特徴的なものは生み出されなかった。