1784年、多くの債権者は、経営の改善のために、より立地条件の良 い、オウデ・アムステル(Oude Amstel)に工場を移転させた。そしてドイツ人のドイバー(F.Däuber)がマネージャーに就任した。アムステルの製品は、初期のものはローストゥレヒト(Loosdrecht)と類似しており、中にはMOLのマークの入った物も見られる。
これは、在庫品を使用したばかりか、このマーク自体をしばらく使用していた可能性も考えられてい る。またこの窯の特徴的な傾向としては、ルイ16世スタイルの装飾が見られる点であった。 1799年、ドンマー家(Dommer Family)に買収されるとG.Dommer & Co.の傘下に入り、1809年まで、オウデ・アムステルで操業を続けていたが、同年に同社のニーユファー・アムステル(Nieuwer-Amstel)の化学工場に統合された。
その後1809年、ニーユファー・アムステルの化学工場に統合させられてからは、もはや磁器の生産は行われず、主にパリ やブリュッセル から送られてきた磁器への装飾のみ行われた。 その後も経営状況は悪く、1814年、完全に生産中止となった。尚、ウェースプから始まるこれらの窯における製造品は、類似性が高 く、その窯印が無ければ区別がつかない事が多い。