Vicentini dal Giglio poi Sebellin a Vicenza (1788-1827?) Italy
18世紀のヴェネツィア共和国では、陶磁器の生産が盛んに行われていた。それはヴェネツィア本島でいち早く操業を始めたヴッツィ(Vezzi)窯、少し間を置いてヘヴェルケ(Hewelke)窯ーコッツィ(Cozzi)窯と、磁器生産の系譜があり、共和国の大陸側では、レ・ノーヴェ(Le Nove)窯が早くから陶器、磁器の両方を生産していた。
これらの諸窯は、ヴェッツィ以外はいずれも大陸側のヴィチェンツァ産のカオリンを原料としていた。またヴィチェンツァでは、近郊の山林から、燃料の為の豊富な木材を供給することができた。
かくしてある意味必然的に、このヴィチェンツァにも、陶器と磁器を生産する窯が生まれた。
カルロ・ヴィチェンティー二・デル・ジーリオ伯爵(Conte Carlo Vicentini del Giglio)が、このヴィチェンツァのサンタ・クローチェ(Santa Croce)村に陶磁器工場を設立したのは、1788年、5月の事であった。
陶器を中心に生産するこの工場は、150人の従業員を擁し、操業期間中に 記録では、1320000点もの作品を制作したと考えられている。
作品はイギリス・ウェッジウッド(Wedgwood)窯の新古典様式を模したものや、 レ・ノーヴェ窯との類似性もあり、コッツィ窯だけでなく、この窯にもレ・ノーヴェ窯からの職人の流出があったと考えられる。
この窯では陶器と同時に少数ではあるが、硬質磁器も生産し、花綱(Festone)などのモチーフを描き、やはり新古典主義的な作品を制作した。
また、窯印は上絵でブルボンリリーを、アイアンレッドで描く窯印と、しばしばそれに V V の刻印を組み合わせた窯印が使われた。
まるでヘヴェルケ窯とカポディモンテ窯を組み合わせたような窯印である。
1797年から1809年の間の何時かに、バルダサーレ・セベリン(Baldassarre Sebellin)が工場を引き継ぎ、硬質磁器は少なくとも1810年までは生産されていた。操業は1827年まで続いた可能性もある。