古伊万里染付芙蓉手花鳥文大皿(17世紀末/元禄ー宝永年間)
直径:37.4cm 銘無し 目跡五箇所あり
この作品は中国明時代に中東向けに制作された芙蓉手を有田で写したモノである。
短冊状に8分割に区切られた周辺部分には、吉祥文が描かれ、中央に主題となる鳥の絵がのびのびと描かれている。
装飾は全て染付けで描かれ、18世紀初頭にこの染付けの上に金彩を施す、日本独自の古伊万里様式の原型となったものである。
一般に中国の芙蓉手に較べて、日本の芙蓉手は時代を経るごとに省略化が進んでいるが、この作品もかなり省略した描き方で、17世紀末の量産化の時代を反映したものかと思われる。
特にこの作品では、高台内が平坦では無く、車輪様の凹凸が認められる。もっと細い車輪状の模様は、中国明末清時代初期の日本へ輸出した古染め付けの磁器などにも見られ、車輪高台と呼ばれている。これは飛び鉋などによって、高台内を荒削りした後だと考えられている。
この作品の模様はより太く、やはり何らかの器具を用いて、高台内を削り取った時に生じたモノはないかと考えられる。
またこの作品の裏の装飾は、折枝文二つで描かれており、やはり1690年から1700年初頭の輸出用大皿によく見られる装飾様式である。
一見生掛けのよう見受けられるが、このような大皿では、1670年以降も素焼をしないで本焼きしていたものと考えられる。
もともと大皿に料理を盛って食べる習慣は、従来中国にも日本にも無かった。従ってこのような大皿は、東南アジアや中東向けの輸出用に制作されたものであったが、この種の大皿は、オランダ東インド会社の東方貿易の主力商品で、中国の王朝の交替に伴う混乱した過渡期の中で、日本に対して、不足した中国磁器を補う為に発注されたものである。
ヨーロッパではクラーク(Kraak)磁器と呼ばれているが、中国からヨーロッパへカラック船によって運ばれたモノの多くが、この手のお皿であった。市場に出回っている中国のクラーク磁器は、沈没船などより引き上げられたものも多い。
この作品よりも小振りではあるが、これと同じ装飾を施した芙蓉手の古伊万里染付のお皿が、オランダのフローニンゲン博物館に1点所蔵されている。
この作品もオランダのディーラーから購入したもので、17世紀のオランダではこのような芙蓉手の染付け磁器の人気が高く、17世紀初頭より地元のファイアンスであるデルフト焼きで、盛んに芙蓉手の作品が制作された。
またこの作品と殆ど同じ装飾、裏文、サイズの作品が、九州陶磁文化館所蔵の、山口幸雄、悦子夫妻寄贈のコレクションに1点あり、また出光美術館のコレクションの中にも類似した作品が存在する。