um1749-1770
Zwei Teller mit Blumen gemalt in Puce
2枚のピュースの花絵のお皿
und Kartousche in unterglaurblau mit Goldmalerei
染付けのカルテューシュに金彩
mit Alt-Oziermuster Rand
アルトオツィールボーダー装飾
Durchmesser : 24.0cm Blaumaler : Johann Hautzenberger(1754-1820)
直径 染付けの絵付け師
Marke: Unterglasurblaue Bundenschild und ‘ 8 ‘ und ‘ i ’ in Rot
マーク:染付けで盾と『8』、赤で『 i 』(1枚のお皿のみ)
マイセン窯を模倣したアルトオツィールムスター(Alt-Oziermuster)のボーダー装飾に、バロックを思わせる、荘厳な染付けのカルテューシュの上に金彩を施し、窓枠の中には繊細な筆致でピュースの花絵が描かれている。
一見、ドイツ6古窯の何処かの作品かと思ってしまうが、ボーダー装飾の精緻さ、繊細さはマイセンを凌ぐ程である。
実はこの2枚のお皿は、裏の窯印からすると、1749−1770年頃の、マリア・テレジアの国営時代のウィーン窯の作品である。素地はそれ程の硬質感は無く、染付け師のマークがハウツェンベルガー(Hautzenberger)であれば(ゾルゲンタール期以前のマークの情報は不確かである)、1760年代の作品ではないだろうか?
ただこの様な染付けに上絵の装飾、金彩の併用など、染付け作品に、後の時代に加飾した作品も存在する。しかしピュースの絵が無ければカルテューシュの中が空っぽであるし、この花絵はオリジナルと考えられ、更にバロック様式を思わせる装飾、染付けの上に施された金彩の入れ方は、古伊万里様式を彷彿とさせる。
そして何よりもボーダー装飾の品質は最上級であり、金彩の使用も妥当ではないだろうか?
マイセン窯でアルトオツィールムスターが考案されたのがおそらく1730年代である。
その後ドイツの各窯がこのボーダー装飾を模倣するのは1750年代からで、ヴィーン窯でもこの様な作品が制作された可能性は否定出来ない。しかし一般的にはやはりレアであるから、この作品が本当にヴィーン製であるのか?更に類例がないか、有力貴族のサーヴィスではないのか?更に調査が必要かと考えられる。
更に大きな疑問は、この染付け装飾が恐らくステンシル(Stencil)を持ちいて描かれていると類推されることである。
ヴィーン窯と関係の深いドッチア窯では、初期にこのステンシルを用いたスタンピーノ(Stampino)という装飾が、絵付けの水準を維持する為に用いられた。多くは染付けのシンプルな作品に施されたもので、この技術がヴィーン窯に導入されたという事は、両者の装飾の類似性からは可能性はあるものの、現時点では証明出来ない。