Minton(1793-Present)                                                                           back
 
Creamer(Possibly Minton)(Circa 1871)
クリーマー(恐らくミントン窯)
with a portrait of Princess Alice(the 2nd daughter of Queen Victoria)
アリス王女の肖像画(ヴィクトリア女王の次女)
For the marriage of Louise(the 4th daughter of Queen Victoria)
四女ルイーズ王女の結婚記念
Hight / 7.0 cm
 
No Mark
 
A sticker of Thomas Goode Co. inside.(international exhibition 1871)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
右側面には気品の漂う女性の肖像画。ビジューの騙し絵のボーダー装飾。
左側面には、花綱で飾られた王冠にアルファベットのA。
更にシェイプは典型的なロココ・ダブルスクロールハンドルに、膨よかなボディーを支える三つの足と、まるで18世紀のロココセーヴル磁器の様なクリーマーだが、窯印などは一切ない。
内側にステッカーが一枚、International Exhibition of 1871, T. Goode Co. 7 とある。
実はこのクリーマーは、ヴィクトリア女王の4女で、芸術の才能に恵まれたルイーズ(Louise)王女の結婚を記念して制作されたティーセットの一部である。
このクリーマーの他にティーポット、シュガー、ティーカップが別々に売られていた。
ティーポットには花嫁のルイーズ王女が、結婚相手の花婿である後のスコットランド第9代アーガイル公・ジョン キャンベル(John Campbell, 9th Duke of Argyll)、当時のローン侯爵ジョン(John,Marquess of Lorne)と共に描かれている。二人は1871年にウィンザー城で挙式した。更にシュガーには長女のヴィクトリア王女、ティーカップには3女のヘレナ王女が描かれていた。
ステッカーのトーマス・グッドは、1827年創業の販売店で、1863年からRoyal warrant(王室御用達)を獲得しており、主にガラス・磁器製品を王室に納めていた。
また国際展示会は、1851年、1862年とロンドン万博、更にもう少し小規模の国際展示会がロンドンで1871年から1874年まで毎年開催されていた。
このクリーマーの女性は、次女のアリス(Alice)王女で、この時既に後のドイツ・ヘッセン大公ルイ(Louis IV, Grand Duke of Hesse)と1862年に結婚していた。
アリスの結婚は、1861年に父のアルバート公が亡くなった翌年で、結婚式もひっそりと執り行われた。その後の彼女の生活も過酷で、貧困や家庭内の確執に苦しみ、1866年に始まる普墺戦争では、プロイセンに嫁いだ長女ヴィクトリア(Victoria)と敵どうしと成り、関係が悪化、更に負傷者の溢れ返る首都ダルムシュタットで、ナイチンゲールを友人に持つ彼女は、彼女を通じてイギリスからの寄付を集めたり、彼女の助言を受けながら野戦病院を整備し、献身的に働いた。
その後1877年に夫が即位すると、1878年にはヘッセン宮殿内でジフテリアが流行し、次々と子供達が発病し、家族の看護に奔走した末に自分自身も感染して35歳で亡くなった。
このクリーマーの肖像画は、彼女の強い意志と優しさが、その表情から感じられる。
結局このティーセットは、ロンドンの国際展示会に出品されたものではないかと考えられるが、では制作したメーカーは何処か?
19世紀に入ってセーヴル窯の芸術部門の総監督になったアレキサンドル・ブロンニャール(Alexandre Brongniart)は、マイセン窯やヴィーン窯とも交流しており、セーヴルの18世紀のプラスター型(Plaster cast)をミントン窯に大量に譲渡している。
またトーマス・グッド社は、数多くのミントン磁器を扱い、ミントンの窯印にはグッド社と連名のモノもあり、1845年にロンドンのメイフェア、サウス・オウドリー・ストリートに開いたグッド社の販売店は Mintons’ London showroom とまで言われていた。
ミントンのRoyal familyへの影響力にも、この会社が深く関わっていた。
19世紀前半では、磁器メーカーに対してロンドンの販売店は圧倒的に力が強く、ロンドンに販売店を持たないミントンもそうであった。販売店は、消費者が販売店を介さずにメーカーから購入する事を嫌って、メーカー名の窯印は中々入れる事を許さなかった。
1830年代から40年代のミントン磁器の数%にしかメーカー名が見られないとGodden 氏が著書の中で言われている。