ブラウンシュヴァイク公カール1世(Herzog Karl Ⅰ von Braunschweig)が、最初の磁器製造の実験を行ったのは、1747年、1月11日であった。
しかしアルカニストのヨハン・クリストフ・グラーザー(Johann Christof Glaser)の成果は、満足いくものではなかった。
1753年、ヘフストよりアルカニストのヨハン・キリアン・ベンクグラフ(Johann Kilian Benckgraff)、その義理の息子である 絵付け師のヨハネス・ツェシンガー(Johannes Zeschinger)、更に フィギュアの成形師(ボシーラー(Bossierer))であり、花の絵付け師のジモン・ファイルナー(Simon Feilner)がこの窯に参入すると、ベンクグラフはその1ヶ月後に亡くなったが、義理の息子のツェシンガーが硬質磁器の製法、焼成技術や顔料の調合技術を完成させた。またファイルナーは、フィギュアの成形や絵付けだけではなく、テーブルウェアのデザインや、作品の芸術的要素の全般的な監督指導を行っていた。
尚重要な原料であるカオリンは、当初パッサウ(Passau)近郊のハフナーツェル(Hafnerzell)から、もたらされたが、直ぐにフュルステンバーク近郊のレンネ村(Lenne)から供給を受ける様になった。その素地は灰色か、黄色みがかっていた。
この窯の作品を18世紀から19世紀初めまでを大きく区分すると、ロココ作品の時代、新古典主義の作品の時代、ナポレオン帝政期のアンピール様式の作品に区分される。1760年代の作品は希少である。また1770年から90年代のロココから新古典主義への移行期が、最も素晴らしい作品を数多く生み出している。
<ロココ様式時代>
❶ 1743年ー1763年/
ライテュンク.フォン・ヨハン・ゲオルク・フォン・ランゲン(Leitung von Georg von Langen)がチーフ・ディレクターの時代で、初期の東洋柄のマイセン染付けの写しもこの時代に制作された。
❷ 1760年ー1770年/
バーンハート・アウグスト・トラバート(Bernhard August Trabert)がチーフ・ディレクターの時代で、ロココ風の繊細なモウルディングは秀逸である。
<ネオクラシック様式時代への移行期>
❸ 1770年ー1796年/
ロココ様式から徐々に新古典主義に移行する中で、数多くの豪華な花瓶(Vasen)が製作された 。この窯の最盛期である。
<アンピール様式時代>
❹ 1807年ー1814年
この時代は経営が悪く、危機的状況にあった。金彩を多用し、ハイループ・ハンドルなどのカップが多く制作された。
代表的な原型師
ジモン・ファイルナー(Simon Feilner)
アーティスティック・ディレクター
ヨハン・クリストフ・ロンブリッヒ(Johann Christof Rombrich)
アントン・カール・ルプラウ(Anton Carl Luplau)
ジャン・ジャック・デゾッシュ(Jean Jacques Desoches)
フランス人彫刻師、セーヴルやウェッジウッドと関係があった。
カール・ゴットリープ・シューバート(Carl Gottlieb Schubert)