1759年、カルロス7世の三男のフェルディナンドは、カルロ7世の後を継いでナポリ王フェルディナンド4世(FerdinandoⅣ)として即位する。
1771年、カルロ7世によって廃棄されたカポディモンテ窯の再興を目指して、ナポリの王の別荘であるポルティーチ(Royal Villa of Portici)に王立窯を設立する。
(付記)フェルディナンド4世は、1768年にマリア・テレジアの十女、マリア・カロリーナ・ダウストリア(Maria Carolina d’Austria)(アントワネットの姉)と結婚したが、それを祝して、1773年にルイ15世(LuisⅩⅤ)から彼女に贈られたセーヴルの有名なサーヴィスが遺っているが、同年にアストゥリアス公妃に贈られたサーヴィスと同じCLのイニシャルが入ったものである。(後者のお皿が、当ギャラリーにあり、本歌のセーヴルと、写しのブエン・レティーロの作品が紹介されている。)
この窯は先のカポディモンテ窯が軟質磁器窯だったのに対して、硬質磁器窯である。
1773年に王宮内に移転し、1806年にフランスに征服されるまで、マイセン磁器に習った様々な主題の作品に加えて、新古典主義的作品を、ポンペイ周辺の遺跡から発掘された古代の大理石やブロンズの彫像を元に、ビスコット(biscotto)で制作した。
1772年に総監督に就任したスペイン人トンマーソ・ペレス(Tommaso Perez)彼の死後、後を継いだドメニコ・ヴェドゥーティ(Domenico Veduti)が引き継ぎ、高品質な作品を制作した。
1807年にフランスからの返還後は、生産が再開されたが、所有者が転々とし、1811年と1835年にモウルドをドッチア窯に売却する。ドッチアは王冠にNのマークを入れて、‘Antico Doccia’としてこれらを再生産している。
主な原型師
フランチェスコ・チェレブラーノ( Francesco Celebrano)
フィリッポ・タリオリーニ (Filippo Tagliolini )