1780年にマリア・テレジアが亡くなり、会社の経営は、当時綿織物業で成功していた、コンラット・ゾアゲル・フォン・ゾアゲンタール(Konrad Sorgel von Sorgenthal)に委ねられた。
彼はまず各工場の製品管理を徹底し、職人の番号制度を厳格に守らせ、製品の品質を維持した。(ヴィーン製品で、職人番号で製作年代がおおよその推定が出来るのは、この時代以降である。)
またそれまでのロココ様式の作品から、当時流行のネオクラシック様式に大きく趣向を転換し、セーヴルやマイセン窯よりも素晴らしいネオクラシックの作品を制作した。
主な絵付け師は、ゲオーク・ペール(Georg Perl)、ヨーゼフ・ライトナー(Joseph Leithner)。原型師は、アントン・マティアス・グラッシ(Anton Mathias Grassi)が1778年からニーダーマイアーの後を継いで原型師主任になった。
 
Wien : Sorgenthal Period
                          (1784-1805)                    Austria