中央にCLのモノグラムが薔薇で描かれ、四角いお皿の周囲には4隅にカスティーリャの塔の紋章、金彩はオリーヴや月桂樹を象り、4辺に設けられた窓絵(カルテューシュ)には、狩りの場面が細密画で描かれている。このお皿の所有者であるカルロス4世の唯一の趣味は狩猟であった。
この角皿は、スペイン王室で使われていたセーヴル窯の食器セット、アステュリアス・セルヴィシオを、マドリッドのブエンレティーロ窯が忠実に写して製作したモノである。 アステュリアス・セルヴィシオとは、1774年、フランス国王ルイ15世(Louis XV)が、同じブルボン家のスペイン王カルロス3世(Carlos Ⅲ)の息子であるアステュリアス皇太子(Principe de Asturias)(のちのカルロス4世)と、ルイ15世の孫娘で、カルロス3世の姪にあたり、アステュリアス皇太子の三つ年下の従妹であるマリア・ルイサ・デ・パルマ(Maria Luisa de Parma)との結婚(1765年)を祝してセーヴル窯に発注したものである。(このセルヴィシオのアイスカップが、当ギャラリーのセーヴルに掲載されています。)
最初のこの食器セットがマドリッドのスペイン王室(エル・エスコリアール/El Escorialの宮廷)に届いたのは1775年、すでに送り主のルイ15世が亡くなった後であったが、3月10日に219ピースのセルヴィシオが届けられた。 そしてこのセルヴィシオは継続的にスペインから追加注文があり、その発注はフランス革命の後の1791年まで続いている。贈られた数は全部で438ピースに上る。
しかし1789年、フランス革命が勃発し、1792年より共和制になると、セーヴルでこのセルヴィシオを製作出来なくなった。
一方ブエンレティーロ窯は、まず王室で使用する為の磁器を製作する事を目的とした窯であったが、その為1792年以降、アステュリアス・セルヴィシオの破損などによる欠損を、ブエンレティーロ窯で製作したコピーで補う事となった。
但しセーヴルのこのセルヴィシオは硬質磁器であるのに対して、当時はブエンレティーロ窯は軟質磁器しか製作出来ず、このセルヴィシオをやはり軟質磁器で製作した。
素地は重く、貫入(crazing)も目立ち、金彩の質、絵付けのレベルに差はあるものの、装飾は正確にコピーされた。窯印は、カポディモンテ時代は釉下に青でブルボンリリーを入れていたが、この作品に見られる様に、ブエンレティーロでは最初の数年以降は、釉薬上に青でブルボンリリーを入れている。その為この作品に見られる様に、青い色の一部が落ちて、黒い窯印になっている。
1807年、ナポレオンがスペインに進攻し、マドリッドも占領され、王宮と共にこの王室窯も略奪され、破壊され、多くの作品も散逸することとなった。
この角皿はオーストリアのザルツブルクのディーラーから購入したものであるが、チップやシミが多く、それがかえって辿って来た長い道のりを想像させる。