❷セーヴル窯
1756年、ヴァンセンヌ窯は古い城が手狭になり、セーヴルに建設した新しい工場に移転した。1759年にはフランス国王が単独オーナーになり、名実共に国立磁器製作所となった。したがって、両窯は作品や職人においても、連続したものと捉える事ができる。
技術総監督に王室金細工師のジャン・クルード・デュプレシー(Jean-Claude Duplessis)、装飾監督のジャン・ジャック.バシェリー(Jean-Jacques Bachelier)、彫像監督のエティエンヌ・モウリス・ファルコネ(Etienne-Maurice Falconet)、絵付け監督のフランソワ・ブーシェ(François Boucher)ら、錚々たるメンバーが名前を連ねた。
1745年代のヴァンセンヌ窯ではマイセンなどの写しなどが多く、まだそれほど独自の作品を生み出すまでには至っていなかったが、ヴァンセンヌでの技術革新がベースとなって、セーヴル窯では独自の斬新な作品が次々と生み出された。
またこの窯におけるポンパデュール侯爵夫人の影響は無視出来ないものであった。
なおヴァンセンヌからセーヴルに移転する際に、大量の白磁が売却して処分された。
この白磁から、多くの後絵付けの偽物が19世紀に造られる結果となった。
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