1735年、パリのシャロンヌ通り(Rue de Charonne)にフランソワ・バルバン(François Barbin)が陶器工場を建設し、そこで彼は実験的な軟質磁器の製作を始めた。1748年、 パリ市内に磁器工場の建設許可を得ようとしたが結局得られず、その後ヴィレロワ公(Duc de Villeroy)がバルバンに磁器製造の特許を与え、自身の領内に工場を建設する事を認めた。その為工場は、ヴィレロワ公の居城に近い、メヌシー(Mennecy)村に建設され、軟質磁器の製造が開始された。
このメヌシー窯は、1750年のフランソワの死後、息子のジャン・バプティスト・バルバン(Jean Baptiste Barbin)に購入されて引き継がれたが、彼も1765年に亡くなり、その後軟質磁器のソウ(Sceaux)窯の原型師のシャルル・サンフォリアン・ジャック(Charles-Symphorien Jacques)と、絵付け師のジョセフ・ジュリアン(Joseph Jullien)が未亡人より購入し、パリの市場に近い、ブール・ラ・ライン(Bourg-la Reine)に移転させられた。
作品はフィギュアや、小物も多く、特に無釉白磁のビスクィ(biscuit)の繊細な作品も作られた。ヴァンセンヌ窯を模倣したものが初期には多く作られた。