略史(History)
ヘンリー・ダニエル(Henry Daniel) は、 元々ハンレイ(Hanley )に、自分自身の小さな絵付け工房を、おそらく1805年くらいまで経営していた。
その後彼は、ジョサイア・スポード(Josiah Spode) から工房を借り受け、スポード社からボーンチャイナの白磁を購入し、それをエナメルや、金彩で装飾して、スポード社に納めていた。このビジネスは非常に成功し、1820年には192人もの従業員を抱える程であった(スポード社では当時448人を雇用していた)。
1822年、彼は遂に自分自身のボーンチャイナの磁器工場をStoke-on-Trent のLondon Road に設立した。
当初彼はスポード社時代の製品と類似したものを製作し、パターンナンバーも、同じ番号を付けていた(但し、スポード社は赤等のエナメルで金彩は使用しない、ダニエルでは多くのケースで金彩で番号が書き込まれている)。
ダニエルの製品は、同じパターンでも、スポード社に較べてハンドルが少し太く、シェイプも僅かに異なっていた。
1826年までには息子のリチャード(Richard) が共同経営者になり、ヘンリー自身は、新しいデザインの考案に集中するようになった。
彼がスポード社から独立した時、パターンナンバーは3400−3500の間であったと思われる。ダニエル社自身のデザインは、おそらく3700番くらいからで、3700番以下では、スポード社でも、ダニエル社でも同じシェイプ、パターンの製品が存在し得る事になる。また3400番以下では、おそらく1822年以前のスポード社からのパターンと考えられる。
最終的にパターンナンバーは8000番代までに達し、ヘンリー.ダニエルは4300種類以上のパターンを造り出したことになる(平均すると、25年の間に、週に3つの新しいパターンを考案していたことになる)。
ヘンリーが、1841年に亡くなると、リチャード が後を継いだが、徐々に経営状態が悪化し、結局1844年に工場は閉鎖された。
窯印(Mark)
ダニエルでは、殆どの製品には、ファクトリーマークが入っておらず、その特徴的な器型(パターン)、ハンドルの形状、モールディングによって、ダニエル製だと判断出来ることが多い。
注意としては、ロンドンの磁器販売店(Retailer) の’DANIELL’ マークに気をつける必要がある。確かにダニエルは、この磁器販売店 に製品を卸していたが、このマークの入ったダニエル製品はまだ確認されていない。このマークの入った製品の多くは、Coalport社 や、Minton 社製などの事が多い。
絵付け師(Painter)
ダニエルでは、多くの優秀な絵付け師を他のメーカーなどから雇い入れて、高水準の絵付けを施していた。
ウィリアム・ポラード(William Pollard)(1822-1827):
傑出したフラワーペインター。シュルーズベリー伯爵のサーヴィス’Earl of Shrewsbury’ などの、特に豪華なサーヴィスを製作した。
(パターンナンバー4000番以下の作品に見られる)
トーマス・スティール(Thomas Steele)(before or after1830)
卓越したフルーツペインター。1815年からダービー社で働き、1826年以降、おそらく1830年前後にロッキンガム窯(Rockingham)に移ったが、その前後にヘンリー・ダニエルに雇用されていたと思われる。その後、ダヴェンポート窯(Davenport)に移り、1832年前後にはミントン窯(Minton) へと移動している。
Bibliology:
H.&R,Daniel 1822-1846 by Michael Berthoud
Daniel Patterns on Porcelain by Michael Berthoud & Lynne Price
A Collector’s History of British porcelain by John & Margaret Cushion