Nymphenburg Manufaktur( 1747-heute) back
(Neudeck Manufaktur) (1755-1760)
ノイデック工場
um 1755-1760
Figurine / ‘Putto als Jupiter’
小彫像/ユピテルに扮する天使
Modelliert von Franz Anton Bustelli (1755-1757 Model)
原型師 フランツ・アントン・ブステリ(原型1755-1757)
Höhe : 11.5 cm
高さ
Marke Preßmarke : Rautenschild und F.B
Planetenzeichen : ♃(als Jupiter)
惑星記号 木星
このフィギュアは「神々と英雄に扮する天使」(Putten Als Götter Und Heroen)のシリーズで、ユピター(ユピテル=ローマ神話の最高神、ギリシア神話のゼウス)に扮する天使の作品である。またこの作品とペアーでユーノー(Juno)(ローマ神話の最高女神)が一緒に制作されている。シリーズ中では、この2体だけが雲の上を飛んでおり、オリンポス山の最高位である事を表している。
長いベイルをたなびかせ、右手に聖鳥「鷲」を従え、左手には雷束を持っている。
このシリーズは、1760年の目録では26体の小彫像が記されているが、多くはペアで制作された。
しかしこの作品では、両足が付け替えられ、雷束も欠損、ベイルも一部失われ、鷲の頭も付け替えられている。満身創痍の状態ながら、今日まで伝えられている。
そしてこの作品こそ、ニンフェンブアク窯の伝説的な原型師、フランツ・アントン・ブステリ(Franz Anton Bustelli)(1723-1763)が原型を制作した作品である。
ブステリがこの窯で仕事を始めたのは1754年の11月3日、それ以前の事は余り知られておらず、恐らくヴィーンからやって来たと考えられる。基本的スタイルは、ミュンヘンのバイエルン選帝侯の宮廷画家、ヨハン・バプティスト・シュタウプ(Johann Baptist Straub)(1702-1784) の影響があると言われている。そして1763年4月18日に40歳で夭折するまで、ブステリは約150体の原型をノイデック(Neudeck)の狩猟の館で制作した。
特にイタリアン・コメディーのシリーズは、ロココの時代でありながら、現代で言うアール・デコの香りを漂わせた斬新な作品群であった。
当作品のシリーズ、「神々と英雄に扮する天使」は、 身体を捻らせ た天使の体幹、四肢の動きの曲線が強調され、台座も緩やかな曲線で縁取られており、柔らかい丸みを帯びた雲など、当時流行のロココ芸術の美を表現している。
この作品の原型が作られたのは、1755年から1757年であり、1760年にニンフェンブアク城に移転する以前、まだノイデックに工場が在った時代である。
この時代の台座の大きな彫像では、畳付きは底全体が平坦で空気穴が空き、無釉になっている。その後ニンフェンブアクに移転し、1770年くらいになると、底が凹んだ形で釉薬がかかり、お皿の高台のように周囲の部分のみ畳付きになって、無釉になっている。
底に入れられたマーク「FB」は、フランツ・アントン・ブステリのイニシャルである。しかしこの作品自体が、ブステリ自身が成形したのかどうかは分からない。
この様なFBマークの入った作品は、成形師(Bossierer)が彫像のパーツを組み立てる時の見本になる完成品として利用されたと考えられている。
従って、彩色されず白磁のままである事が多いが、時に彩色した作品も存在する。
その作品が外部に出た後彩色された、後絵付けの作品と思われる。