Meiseen Manufaktur (1710-heute)
 
 
um 1728-1730
 
Ecuelle Stand
ボウルのトレイ
Durchmesser 17.5 cm
 
Marke: gekreuzte Schwerter in Emailblau auf der Glasur
              釉上に青で描かれた双剣
 
Händler Etikett :  The Antique Porcelain Co. Ltd.
                                     149 New Bond Street
 
このトレイは、直径17.5cmとティーカップのお皿よりも大きい。実はこの時代にマイセン窯で制作された、フタ付きのボウル(直径10.0cmくらいのもの)(Ecuelle)の下に敷くトレイである。
 
中央の窓枠の中に主題となる絵が描かれ、窓の周囲に紫とアイアンレッド、金彩で複雑な装飾が施されている。この装飾は当時アジアから流入していた、インド産のテキスタイルの紋様を源流とするもので、ラウプ・ウント・ベンダーヴェアクLaub-und Bänderwerk 装飾と呼ばれる、バロック時代のマイセン窯の特徴的な装飾である。
更に上下左右4箇所には、ラスター(Luster)装飾も施されている。
トレイの辺縁の金彩のレース状の装飾(Gold lace work border)も、バロック時代の特徴的な装飾であるが、この装飾は黒一色で描かれる事も有り、シュヴァアツロット(Schwarzlot)と呼ばれ、ヴィーン窯でも多用された装飾技法である。
 
この時代のマイセン窯では、素地の焼成が安定せず不良品が一定の割合で生じていた。また絵付け師の数も足りず、不良品の処分にハウスマーラー(Hausmaler)と呼ばれる外部の絵付け工房に、多くの装飾が委託されていた。近郊のアウクスブルクのアウフェンヴェアト工房(ヨハンと娘のザビーナ、エリザベート・アウフェンヴェアトJohann , Sabina , und Elisabeth Aufenwerth)やゾイター工房(バアトロモイス・
アブラハム・ゾイターBartholomäus Abraham Seuter)が有名である。彼らの多くの作品では、全て金彩で、シノワズリやバロック装飾が描き込まれている。
バロック時代の装飾の特徴とは、基本的に左右対称であり、磁器であればハンドルに人の顔を造り込むような立体的な装飾や、東洋の装飾を取り入れている所にあるが、これは17世紀の各国の東インド会社の興隆を反映したものと考えられる。
 
またこの作品では、上下に更に小さな窓枠がアイアンレッドで描かれ、その中に小さなシノワズリ(chinoiserie中国風の装飾)風の絵が描かれている。これと同じ装飾構成の作品が、ワーク・コレクション(Wark Collection)の中にも見られる。(Referenz ① p344, No.381)
中央の主題となる絵は、所謂「海上貿易風景」とも呼ばれるが、エキゾティック・ハーバー(Exotic Harbor):東方貿易の港の様子を描いたものである。
トレイの背面を見ると、辺縁に3箇所、草花紋が描かれているが、この形式自体は、東洋の磁器の影響と考えられる。
 
最後に窯印であるが、この作品では双剣のマークが釉上に描かれている。
マイセン窯の真正品を表す釉下に青で描かれた双剣のマークは、創設者のベットガー(F.W.Böttger)が1719年に亡くなったのち、1723年にヨハン・メルヒオール・シュタインブリュック(Johann Melchiol Steinbrück)が考案したもので、ザクセンの紋章からとったモチーフである。しかし1720年代後半の作品では、しばしばノーマークであったり、この作品の様に釉上から書かれたものも少なからず存在する。
そもそもこの窯印は、工場から外部に売却した不良品や、職人が白磁で持ち出して絵付けした粗悪品と、真正品を区別して評判を落とさない為に考案されたものである。
しかし当初は徹底しておらず、ノーマークのまま焼成される事もあり、また絵付けのスピードが白磁の生産に追いつけず、1723年以前に焼成した無印の白磁の在庫も沢山あった。それらに釉上に双剣の窯印を入れて装飾して完成させたとも考えられる。
 
これより少し時代が下った1729年から1730年の間に、東洋磁器の模倣した作品で、この釉上の双剣の窯印が入れらた作品が多数存在するが、これはフランス人商人ロドルフ・ルメイア(Rodolphe Lemaire)の手によるものである。密かにアウグスト強王の東洋磁器コレクションをマイセン磁器に写し、あとでマークを消して、東洋磁器の真正品として高額で売却しようとしたものだった。ルメイア事件(Lemeire Affäre)と呼ばれるこの事件では、マイセン窯内部の幾人かも協力者として関わっており、その後は釉下への双剣の窯印の刻印は、厳重に行われる様になった。(当ギャラリーには、鶉図のビーカーなどが掲載されている。)
 
 
この作品のラべルのディーラーのお店は、もともとロンドン、ボンドストリートで営業していたが、今はニューヨークに移転している(現、Michelle Beiney Antiques)。
店主のハンス・ヴァインベアク(Hanns Weinberg )は、ユダヤ系ドイツ人で、ドイツで生まれ、弁護士として何度もナチスと法廷で争い、14回も拘束された。
結局1938年にチェコからロンドンに脱出したが、ドイツ国籍では法律家としてはやって行けず、趣味の骨董磁器のお店をニューボンドストリートに1946年に開店した。
このラベルは1957年にお店がマンハッタンに移転するまでの間に、貼られたものだと思われる。
(Passion for Porcelain From the Age of Reason by Wendy Moonan / New York Times November 3, 2006 )