プロイセンの ブランデンブルク選帝侯フリートリッヒ2世(フリートリッヒ大王)(Friedrich Ⅱ) に追われていた、錬金術師のヨハン・フリートリッヒ・ヴィルヘルム・ベットガー(Johann Friedrich Wilhelm Böttger) を、ザクセン選帝侯・ポーランド王フリートリッヒ・アウグスト2世(強王)(Friedrich August Ⅱ)が匿い、王はベットガーが金が作れないと分かり、当時中国の秘法であった、真正磁器(硬質磁器のこと。当時ヨーロッパでは軟質磁器しか製造出来なかった)の製法の研究を強要した。
その結果、科学者エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス(Ehrenfried Walter von Tschirnhaus)の協力のもと、彼の死の翌年1709年に、赤色せっ器(Stone Ware、中国の宜興窯のせっ器を模したもの)、引き続いて真正の白磁の製造に成功した。アウグスト2世は、ドレスデン近郊のマイセンに磁器製作所を設立し、ベットガーをマイセンのアルプレヒト城に幽閉し、磁器の製造に当たらせた。その後この窯は紆余曲折しながらも、現在までヨーロッパの磁器メーカーをリードする存在として認められ続けている。