1751年、綿織物業をしていたヴィルヘルム・カスパー・ヴェゲリー(Wilhelm Casper Wegely)は、ブランデンブルク選帝侯フリートリッヒ2世(フリートリッヒ大王)(Friedrich Ⅱ) の後援のもと、 プロイセンのベルリンで、最初の磁器メーカーの操業を始めた。パッサウ(Passau)産の土を使い、1752年、一時的にヘフストのヨハン・キリアン・ベンクグラフ(Johann Kilian Benckgraff)の協力を得て、磁器の焼成に成功した。またヘフストや、マイセンからの職人を雇い入れ、特にフィギュアではマイセンやヴィーンのモチーフが模倣された。(1900年に行われた窯跡の調査による成分分析の結果では、磁土が82−85%で、長石が15−18%、少量のクォーツであった。長石の割合が少なく、その為ヴェゲリーの磁器は透光性にやや劣っている。また可塑性に乏しく、大きい作品は製作出来なかった。)
1756年に始まる7年戦争の直前に、フリートリッヒ大王はヴェゲリーをプロイセンの統治下に入ったマイセンに連れて行ったが、工場には職人は居らず、もぬけの殻で、資料も道具もすでに全て隠されていた。
その後、結局充分な支援は大王から受ける事が出来ず、経営難から1757年に廃業に追い込まれる。その磁器製造に関する施設、道具、原料のすべてをベルリンの富裕商人であるヨハン・エアンスト・ゴツコフスキー(Johann Ernst Gotzkowsky)に売却した。
 
 
1761年、フリートリッヒ大王は、ヴェゲリーの原型師・エアンスト・ハインリッヒ・リヒャルト(Ernst Heinrich Richard)から磁器の製法を買い取った商人ヨハン・エアンスト・ゴツコフスキー(Johann Ernst Gotzkowsky)に磁器の製造許可を与えて、王室の管理のもとで操業を開始させた。ゴツコフスキーは、もともとフリードリッヒ大王の美術コレクションの購入担当業者であり、ベルリンで初めて絹織物の工場の設立にも成功していた。
彼はマイセン窯のヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(Johann Joachim Köndler)と共同で作品を作る希望を持っていたが、結局は実現せず、1761年にマイセンよりフリートリッヒ・エリアス・マイアー(Friedrich Elias Meyer)をベルリンへ召還し、原型師主任とした。同時に風景画家のヴィルヘルム・ベーメ(Wilhelm Böhme)、ヨハン・バルタサル・ボーアマン(Johann Balthasar Borrmann)らもマイセン窯から呼び寄せた。また1763年には、モザイク画家のヤーコプ・クリスティアン・クリプフェル(Jacob Christian Klipfel)とも契約した。
この窯の作品は殆ど現存しておらず、ヴェゲリー窯と同じパッサウ産の土を使い、製法も類似する為両者を区別する事は困難である。素地は黄色がかった灰色で、釉薬は雲り、光沢に乏しい特徴を有していた。
1763年、 結局この窯も経営破綻し、負債を抱えた工場は、大王自身が買い取り、豊富な資金のもと、王室磁器メーカーKPM Berlinが誕生した。
 
因みにゴツコフスキーは、ドイツ出身でロシアの女帝となったエカテリーナ2世に、 1764年、 大王の為に収集していた225枚の絵画コレクションを売却している。 七年戦争の出費で、大王がそのコレクションを購入する事を拒否した為だ。 女帝は大王にロシアの富を見せつけてあっと言わせたかったのだろう。現実にはプロイセンの富には遠く及ばなかったが、このコレクションからエルミタージュの美術コレクションはスタートしている。
 
 
フリートリッヒ大王は、マイセンから連行した多くの職人をそこで働かせた。
また1765年、ザイリーシャ(ポ語Silesia)地方のゾプテン(Zobten)近郊のシュテュレーベル(Ströbel)で新しい土を発見し、引き続いて1771年に良質の磁土をゼンネヴィッツ(Sennewitz)とモール(Mohl)地方でハレ(Halle)近くのブラフヴィッツ(Brachwitz)で発見した。
この素地は現在のKPMベルリンでも使用されており、磁胎の青白い色調がKPMベルリン窯の特徴となっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Referenz
Von Gotzkowsky zur KPM  von Winfried Baer
Berliner Porzellan  der Manufaktur von Wilhelm Casper Wegely 1751-1757  von Gisela Zick
Kunstgewerwemuseum der Stadt Köln  Figüliches Porzellan  von Ursula Erichsen-Firle
Berliner Porzellan des 18. Jahrhunderts    bearbeitet von Johanna Lessmann et al
Dictionary of European Porcelain  by Ludwig Danckert
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        
 
 
 
 
 
 
        
Berlin(1751-Heute)                     Germany
Wilhelm Casper Wegely Manufaktur(1751-1757)
Johann Ernst Gotzkowsky Factory(1761-1763)
K.P.M. Berlin  Factory(1763-Present)
(Königliche Porzellan Maufaktur)