Sevres(1756-Present) back
Circa 1758
Tasse ‘Hébert’ et soucoupe ‘Hébert’ Pâte : Porcelaine tendre
カップ『エベール』とソーサー『エベール』 素地 軟質磁器
Peinture : Paysage sur la couleur de fond de deux (décoré plus tard ? )
絵付け:二色のグラウンドカラーに風景画 後絵付け?
Gobelet / Hauteur : cm, Diamétre : cm Soucoupe / Diamétre: 13.7cm
Marques peintes : Caducée (non identifié) Lettre date : F en bleu / 1758
Marques en creux : O O
<モデル>
この典型的なロココ様式の洋梨型のカップは、1752年の10月にヴァンセンヌ窯から始まり、セーヴル窯の初期でも制作された、エベール(Hebert)型と呼ばれるカップである。
カップの胴部のふくよかな曲線は、洋梨を連想させ、典型的なクロスするスクロールハンドルは、木の幹の様な装飾が金彩で施され、まさにロココ様式の優美さを表現している。
このシェイプは、エベール氏(Monsieur Hebert)の為に制作された為にこの名で呼ばれている。エベール氏が誰であるかは諸説あるが、サントノレ通りのマーシャン・メルシーの一つである、トーマジョアキメベール(Thomas-Joachim Hébert)であるという説もあったが、王室秘書(secrétaire du roi)のエベールの方が今は有力視されている。
彼は1751年にエロワ・ブリチャールに経営が移った後の、セーヴル窯の監視委員会に所属していた人物で、この委員会の構成メンバーは、ブイヤール(Bouillard)、ヴェルダン(Verdun)、サンマルタン(Saint-Martin)(架空会社の共同経営者)、ボワロー(Boileau)(セーヴル窯の監督)、デュ・コルテイエ(de Courteille)(財務国家評議委員)エベール(Hebert)(王室秘書)、デュボウ(Duvaux)(宝石商)、ランデ(Lindet)(セーヴル窯の建築家)であった。
この内、サンマルタンとランデ以外は、セーヴル作品のシェイプ名になっている。
またソーサーには刻印が刻まれており、アルファベットで、O O に見える。これは1753−54年の作品などで確認されている刻印である。
<装飾>
ヴァンセンヌ時代に開発されたグラウンドカラーを組み合わせて、この様なラ・クラー・ドゥ・フォン・ドゥ・デュ(la couleur de fond de deux)(二つの地色)と呼ばれる、2色のグラウンドカラーを組み合わせた作品は、この時代を代表する作品である。
ヴェールのグラウンドカラーが開発されたのは1756年で、このような2色のグラウンドカラーの作品は1758年から制作されているが、1763年を超えて制作されたモノは確認されていない。
この作品では、一つは釉下彩でラピス、一つは釉上彩でヴェールに染めており、地色どうし、または窓絵との境界は金彩で縁取られている。これは境界部の不整を隠す為である。
またこのカップをソーサーの上に逆さに置いた時に、上下のヴェールとラピスの柄が合い、一つの見所となるが、ブーシェの『ル・デジュネ』(Le déjeuner )(1739年)という絵に、テーブルに置いたソーサーの上に、カップを伏せて置いているシーンが描かれており、当時そういうセッティングをする習慣があったと考えられる。
この様なブルー・ラピスとヴェールの2色のグラウンドカラーの組み合わせは、ラピス・エ・ヴェール(lapis et vert )若しくは、サフリ・エ・ヴェール(saffre et vert )と呼ばれている。
Lapis とSaffre は、その顔料の組成が異なるが、外観では区別出来ず、成分分析でしか判別できない。この時代の販売記録では両者が存在しており、混乱の原因になっている。
例えばマーシャン・メルシーのラザール・デュヴォウの記録によると、1755年の12月24日にポンパデュール公爵夫人が購入した蓋付きカップは、サフリ・カマイユ(saffre camaïeu)(単色のサフリ)と記載されている。
二重の金彩のラインで縁取られた窓枠の中には、森の中に佇む、古い家屋と、犬を連れた少年が丁寧に描かれ、更に釉下彩のラピス地の上には、オイ・ドゥ・ペルデュリ(Oeil de Perdrix)(山鶉の目)やカイユーティ(cailloutes)(小石)を模した金彩装飾が一面に施されている。
これはこの時代にゼーヴル窯で盛んに研究されていた、日本の有田の古伊万里様式の、『染付けの上に金彩を施す技法』の効果を模したものと思われる。
<柿右衛門様式とロココ>
ところでこの作品で最も印象的なのは、二つのグラウンドカラーの境界線に見られる曲線の力強さである。
ポンパデュール侯爵夫人が主導したロココ美術は、単にロカイユを多用した優美なだけのモノではなく、この作品に見られる様に、緊張感のある力強い曲線が、その作品に斬新さを与えている。言わば、19世紀末のフランスのアール・ヌーヴォーもしくは、むしろドイツのユーゲント・シュティールに近いように思える。
ユーゲント・シュティールは、日本の浮世絵から多大な影響を受け、特にアンリ・ヴァンデュ・ヴェルデュ(Henry van de Verde)の作品に見られるような曲線の力強さは、この作品と共通するモノを感じる。
実は18世紀初頭に興ったロココ芸術とは、その前の時代、17世紀に流入した東洋の美術、とりわけ柿右衛門磁器に見られる様な左右の非対称性、「不完全の美」などを吸収した上に成立している。但しその普及は上流階級に限られ、それは東洋美術の受容が、一部の層にしか浸透しなかった事と無縁ではない。
そう言う意味では、19世紀末のアール・ヌーヴォー運動とは、多くの美術館や博物館、浮世絵のコレクションなどが一般公開される中で生み出されたものであり、ロココ芸術と同じ様に東西文明の交流から生まれたものであるが、ロココ芸術よりも、より大衆の中で起こった運動であるという見方もできる。
<メリクリウスの杖>
ここまで語っておきながら,この作品の装飾が後の時代に加飾されたモノだと言ったらどうだろうか?
実際、ヴァンセンヌ窯からセーヴル窯に移転する際、大量の白磁を売り払っている。
これらの多くが、19世紀に造られる「後(あと)絵付け」作品の元凶である。
この作品のようなラピスとヴェールの2色のグラウンドカラーの作品は、1758年から作られるが、この作品と極めて良く似たカップが、パリの装飾芸術美術館(Les Arts Decoratifs)に収蔵されている。全く同じラピスとヴェールの2色のグラウンドカラーの染め分けで、金彩の縁取り方も同じ、イアーマーク(F)も同じであるが、窓絵の中は花のブーケで、ペインターはマークPで、ドミニク・ジョフロワ(Dominique Joffroy 1753−1770 actif)か、フィリップ・パルペット(Philippe Parpette 1755-1806 actif)で、ラピスの上に施した金彩装飾は、ドット(Piintille)と山鶉の目(Oeil de perdrix)になっており、この作品の金彩とは描き方が異なっている。1923年にグランジャン・コレクション(dépôt / Collection Grandjean)から寄贈されたものである。
またアメリカのウォッズワース・アテネウム(Wadsworth Atheneum)の銀行家で資産家のジョン・ピアパント・モーガン(John Pierpont Morgan)のコレクションの中にも類似した作品が存在する。このカップは、イアーマークは同じFで、やはりヴェールとラピスのグラウンドカラーで、染め分け方は異なっており、窓絵には風景画、力強いラインで境界線が描かれ、絵付け師のサインはこれも不明であるが、Nの変形のようだが、この作品とは違う。窓枠の金彩はこの作品よりも比較的シンプルで、ラピス地の上の金彩は無い。また当作品と異なり、ソーサーの外側と、カップの縁で、ヴェール地と接する所のデンティル・リム(dentil rim)が失われている。
またこのカップと同じ絵付け師のサインのカップが、ロスチャイルド・コレクションである、イギリスのウォッズデン・マナー(Waddesdon Manor)のセーヴルコレクションの中に存在する。これもヴェール地に当作品と同じ様な風景画のカップである。
またヴィクトリア&アルバート美術館にもこの絵付け師のマークのカップ・ソーサーと、ティーサーヴィスのトレイがあり、やはりヴェール地に同様の風景画が描かれ、本作品と全く同じ絵付け師のマーク、窯印の書き方、Fの書き方まで同じである。但し金彩のデンティル・リムは欠如していない。
これらの作品はいずれも、1756年から1759年の間のイアーマークが入っている。
金彩の欠如は何らかの理由があるように思えるが、これら1群のカップが、19世紀の絵付けの作品である可能性は否定出来ない。
因みにこのカップの絵付け師のマークであるカデュシー(Caducée)、いわゆるメリクリウスの杖は、マイセン窯でも、ロドルフ・ルメイア(Rodolphe Lemaire)事件で使われたマークである(アウグスト強王を騙して、マイセン磁器で古伊万里の贋作を作った事件)。
何か謎解きのヒントのようである。ルメイアの子孫の仕事であろうか?
更に、この様な風景画や、この描き方のメリクリウスの杖は、19世紀に流行したものだという説もある。
( 近年の見地では、この Caduceus の職人の候補に、Jean Bouchet (1757-1793) の名前が挙がっている。彼は風景、動物、鳥、人物、花の絵付け師であり、金彩師でもある。
1770年以降の彼のマークは木の様なマークであるが、もっと初期にはこの Caduceus のマークを使っていたのでは無いかと類推されている。)